【Entô開業4周年記念対談・前編】 Honest & Seamless – 建築と運営が紡いできた、Entôという場のかたち|原田真宏 × 青山敦士
25.08.30
浅川 友里江

2021年7月、隠岐・海士町の玄関口に生まれたEntô。
島の地形と暮らしに寄り添うように設計されたこの場所は、「泊まれるジオパークの拠点施設」として、旅のかたちに静かな変化をもたらしてきました。
開業から4年。
構想のはじまりに立ち会い、空間としてのあり方を描いてきた建築家・原田真宏さん。
日々の営みを通じて、場の気配や関係性を育んできた運営責任者・青山敦士。
ふたりの対話を通して見えてきたのは、「Entôとは何か」という問いではなく、その輪郭をそっとたどっていくような時間でした。
「島をまるごとホテルにする」という構想が、どのようにかたちになり、どのように育ってきたのか。そしてこれから、どんな風景へと開かれていくのか。
言葉を交わすことで、少しずつ浮かび上がってくるEntôの現在地と、その先の可能性について、お届けします。
構想の原点
人と地球のほとりで出会った新たな世界
──この島全体をホテルにするという、他に類を見ないユニークな構想がEntôの出発点だったかと思います。おふたりは当初、どんな状態をイメージされていましたか?
原田真宏(以下、原田)
最初に海士に来たのは、コンペの敷地を見に来たときだったんですけど、たしか嵐で波も荒くて、フェリーもすごく揺れてて……港に着いたときに、「ああ、ものすごく遠くに来たな」っていうのがね、やっぱり印象的でしたね。
そのときに初めて、「人の世界の外側」みたいなものに出会ったような感動があって。都市って、人の手が行き届いてるけど、人の勢力圏が自然の中でギリギリを尽きるところ、その外側に初めて接したような感動がありましたね。
それから次に、すごく印象に残ってるのが、大きな自然の中でポツンと生きてる人たちの力強さ。都市で暮らしてると、例えばドアが壊れたら工務店を呼んだりできるじゃないですか。でも島の人たちは、そういうのも全部自分たちでどうにかする。自分たちでやるし、つながりの中でも助け合ってるし。
だから、世界に対峙して生きていく力とか、知恵とか、そういうのがスポイルされてなくて、ちゃんとビビッドに残ってるんですよね。
それが僕にとっては、もう建物の中だけがホテルなんじゃなくて、「島全体がホテル」っていう感覚だったかな。人とか自然とか、あの環境ぜんぶが資産だなって思った。

青山敦士(以下、青山)
僕らも「島全体をホテルに」という構想は持っていたけれど、正直、最初は言葉だけで、中身までは掘り下げきれていなかったんです。
でも、原田さんたちが島に来てくれて、しかもそのたびに、ちゃんと島の人たちと向き合ってくれる。そういう姿を見て、「ああ、これがこの土地にある価値なんだ」って、僕ら自身も気づかされていったような気がしています。
それに、コンペの場で原田さんが伝えてくださった「わざわざここに来ること自体に価値がある」という視点も、すごく印象に残っていて。
今の消費の主流とは違う方向に、僕たちの持っている価値があるんだと、改めて教えてもらったような気がしています。
あの瞬間が、僕らにとっての出発点になったんじゃないかと思っています。
原田
そもそも都市型のラグジュアリーを持ち込んでも、六本木には勝てないしさ、目指すべき方向でもない。だから「人為が及ばない世界に出会えること」自体を価値にしようとした。
島には「ないものはない」っていう表現があるでしょう? あれがすごくいい。欲しいものは全部あるんだっていう意味にも感じるし、余計なものがない潔さもある。
そういう世界を失わないように、「ある方」に引っ張られないようにって、意識してプロジェクトを進めたと思う。
青山
いや、本当そうですね。おっしゃる通りで、「力学が働くもの」に対して、こちらは「こちらでいくぞ」という意思がちゃんと必要で。気を抜くと気づいたときには、もう“ある方”に近づいてしまう。
原田
やっぱり良かれと思って「ある」へと向かってしまうんだけど、でも、そうするとコンセプトを失うというか、よさを失っていくんだよね。
建築が引く1本の基準線
自然の時間に触れるための、最小限の操作
──「人為の及ばない世界。「ある方」に向かわないように。」という大事なキーワードが出てきたと思います。構想から設計に落とし込む中で、建築という装置を通して、どう翻訳しようとされたのでしょうか?
原田
デザインって、基本的には人為を足していく作業ですよね。だからこそ、どうやって人間が加えた手の数を最小限にするか。それをずっと考えていました。
僕たちがこのプロジェクトでやった最小限の操作とは、一本の線を引くことなんです。その線を引くだけで、それ以上のことは極力しない。むしろ、それによって自然の微細な変化、海の色の揺らぎや風の向き、流木の位置までが知覚可能になる。そういう基準線のような建築を、最初からイメージしていました。
最初に事務所でデザインを始めたときも、Entôの建物から港の方へ向かって、受け入れる長さを作るように線を一本引いてみた。そこからすべてが始まりました。

──なるほど。その「一本の基準線」という言葉を、運営の立場からはどのように受け取りましたか?
青山
本当に「基準線」を引いていただいたんだなと思います。特にNEST棟の角度には象徴的な意味があって、何度も微調整したうえで「この角度しかない」というこだわりのラインを見つけてくださった。その結果、風景がまるで額縁に切り取られたように見えるんです。
実際、島民の方々が初めて泊まったときに、「自分たちがこんな風景の中に暮らしていたなんて」と驚いてくれたのが、すごく印象的でした。
我々、日々この島で暮らす人間にとっても、それは改めてこの場所の価値を再確認させてくれる体験です。あの基準線は揺るがない指標として、いつでも立ち返ることができる。本当に、ありがたいものをもらったと思っています。
原田
置くものが一つしかないからこそ、その置き方はものすごく吟味しました。目の前の半島が尽きて、海がまた向こうへと伸びていく。その風景の奥行きをどこまで引き出せるかを考えながら、あの角度を選びました。
このジオパークという壮大なフィールドに、どう建築で応答するか。都市のホテルとは明確なコントラストを作りたいなと思ってたんですよ。「なんでもある世界」を対象において、反対側のクリアな立場をきちっと出したいなと思ったからの、この線だった。
線って、長さはあるけれど幅がない。Entôの平面プランはその線のイメージでできていて、すごく長いけど奥行きが浅い。
都市型ホテルって、間口が狭くて奥行きが深いから、外の景色が空間の中に入り込む割合が少ない。でも、Entôはその逆。間口を広く、奥行きを浅くすることで、空間の中の外の割合を最大化した。
つまり、自然そのものが空間をつくっているような状態に近づけたかったんです。
根本的に考えたのはそこですね。コンペの勝負ショットも室内から窓の額縁フレームの風景ショットにして、「ここが資源だ」と示した。これが一番面白いとこだっていうふうに示したのが、始まりだったし、根幹だと思う。

青山
最初のコンペで見せてもらったパース(建物や空間の完成予想図)が、完成したときと本当に変わらなかったのが印象的で。ふつうは、実際に建物ができると「思ってたのと少し違ったな」と感じたりするんですけど、あのときに見せてもらった風景が、そのまま形になっていたんですよね。
実際、最終コンペのときに「あのパースがしっかりできてたな」と感じていて。僕らもそう思ったし、当時の町長も「この部屋に泊まりたい」と最後におっしゃってくれて、あの一言でこのプロジェクトが決まったようなところがあった。
その風景が本当に現実になって、4年経った今でも、あの空間が色あせずにあるのは、やっぱり最初に原田さんたちが、しっかりと狙いを定めてくれていたからだと思います。
原田
都市だったらね、数年に1回ぐらいリノベーションして、またフレッシュな顔で新しいお客さんを迎えてくれればいいんだけど、永遠に価値を持つような建築じゃないとさ、ここでは無理だなと思ったんだ。
だから僕は根本的に絶対に色褪せない、価値が失われないような建築の様式にしないといけないと考えてましたね。流行り廃りのある飽きられるような建物じゃ、ジオパークの何十万年と続く地質の風景には対峙できない。
だから可能な限り強度のある単純なもので答えたんですよね。
― photo ―
Kentauros Yasunaga
― text ―
浅川友里江
東京生まれ、山梨育ち。学生時代から写真や映像、音楽やサブカルに夢中になり、デザインや執筆、ブランディングの仕事へ。京都ではホテル開業に携わり、マーケティングを担当しながらウェルカムDJまで。趣味と仕事が表裏一体で、遊びや表現活動がそのまま仕事につながる時代を過ごした。
2021年にEntôを訪れ、2024年に海士町へ移住。現在はEntôのマーケティングを担っている。
島では猫とシェアハウスで暮らし、地域のグラウンドゴルフに参加したり、友人と和歌短歌を愉しむのも日常に。これからは音楽や食の楽しみも広げながら、遊びと仕事を行き来しつつ"島の余白"を彩っていきたい。
― Interview/editing ―
小松崎 拓郎(エドゥカーレ代表/編集者)
1991年、茨城県龍ケ崎市生まれ。島根県の石見銀山遺跡とその文化的景観に抱かれる町・大森町で妻と二羽の鶏、愛犬と共に暮らしている編集者。エドゥカーレ社代表。会社のファンを増やすオンラインマーケティング支援サービス「カンパニーエディター」、自然のために働く人を増やし、自然を愛する人の輪を広げていくプロジェクトデータベース「GOOD NATURE COMPANY 100」を運営。