
さえぎるものはなかった。雑音もなかった。
あるのは、潮の満ち引きと、光のゆるやかなリズムだけ。
私たちはただ、「今」という時間を生きていた。
そして、島々は——想像できるすべてを、惜しみなく私たちに与えてくれた。
sarah jessica marie burns
オーストラリア人のフォトグラファー・ビデオグラファー
モロッコでゆっくりと暮らしながら、あらゆる形の映像詩と世界中の生活のエッセンスを撮影している。
https://www.maroccancolours.com/
sarah jessica marie burns
オーストラリア人のフォトグラファー・ビデオグラファー
モロッコでゆっくりと暮らしながら、あらゆる形の映像詩と世界中の生活のエッセンスを撮影している。
https://www.maroccancolours.com/
滞在中に感じたこと、考えたことは?
日本海を越えたその先には、時間の流れがゆっくりと進む、まるで別世界のような場所があった。そこへ向かう旅は、これまでで一番、美しく心に残るものだった。
Entôでは、ただ「滞在する」だけではない。静けさに身を委ね、自分たちが生まれるずっと前から続く、大きなリズムの中にそっと溶け込んでいくような体験があった。
到着した瞬間、ふと感じたのは「この場所は、私とともにある」。そんな、言葉にしがたい静かな確信だった。

私たちは、深いつながりを感じていた。
それは、土地や海、石に刻まれ、人の手を通して受け継がれてきた物語たちとのつながりだった。
Entôのジオラウンジで過ごしたひとときは、歴史の静かな重みに包まれながら、私たちの歩みをそっと止め、ふと内省を促すようだった。
過去も、現在も、そして未来も——。
それぞれが別々にあるのではなく、すべてがひと続きの物語として、今この瞬間につながっている。そんな感覚が、胸の奥に静かに広がっていった。


足元に眠る太古の化石は、地球がくり返してきた壮大な変化を物語っている。かつてこの場所にいた生命、移りゆく海、そして隆起した大地。その静けさの中に立つと、私たち自身もまた、地球の進化の一部であることに気づかされる。遥かなる物語の中に、自分の存在がそっと位置づけられているように思えるのだ。


私たちは、ただそこにいるだけで、平和を感じていた。
何も求めない広がり。ただ“存在する”ことを許される空間。
NEST SU(スイートルーム)から見える景色は、まるで詩だった。
静かに港へ入ってくるボート。移ろう空を舞う鳥たち。
そして、絶え間なく変わりゆく光が、海の向こうに新たな詩を描き出していく。
目に映るのは、自然だけ。
その中で、私たちは気づいた。
この島の穏やかなリズムに、自分たちもそっと溶け込んでいることに。

朝。Entôのやわらかなパジャマに身を包み、海へと舞い落ちる雪を眺めていた。頬に触れる冷たい空気も、どこかやさしく感じられる。私たちは、静かに心が満たされていくような、そんな喜びを味わっていた。
太陽は急がず、ゆっくりと、そして気品をまとって昇ってくる。最初に目を覚ましたのは、漁師と私だった。彼は潮の流れに身をゆだねるように、音も立てずに海へと歩みを進めていく。私は、その光を追って、カメラのシャッターを切った。
夜明けの静けさの中で、私たちはそれぞれに、はかなくも確かなものを探していた。そこには、言葉にできない本質的な何かが、確かにあった。

私たちは神社を訪れ、祈りのように静かで優雅なお茶の会に参加し、畏敬の念と驚きを覚えた。偶然にもその日は祝いの日であり、時を超えて人々が集うコミュニティの姿を目の当たりにした。
雪の中を歩き、何時間も語り合いながら、熟練の手によって伝統が受け継がれている船づくりの工房を訪れた。また、島の精神に深く根ざした織物のやわらかさを、粘土で表現しようとする地元の陶芸家と静かな時間をともにした。

地球は、私たちから切り離された存在ではない。私たちは、地球に属している。
だからこそ、大切にしなければならない。
それは当たり前のことのようで、つい忘れてしまうことでもある。
建築もまた、同じだと思う。
それはただ「在る」のではなく、風景と溶け合い、静かにそこに「居る」もの。
内と外の境界を感じさせない、シームレスな調和。その姿に、私は惹かれる。
幼いころ、父が話してくれたことがある。
「家は丘の上に建つべきではない」と、フランク・ロイド・ライトの言葉を引用していた。
その意味がずっとわからなかった。でも、いまなら少し、わかる気がする。
この場所に立って、風の音を聞きながら、私はふと気づいた。
あの言葉は、ここでちゃんと生きている──そう思えたのだった。

Entôは、ただの滞在ではない。それは、ひとつの“感覚”だ。
陸と海、人と大地のあいだにある、目に見えない橋をそっと渡るような体験。
そこには、思い出を超えた何かがある。
場所の記憶、時間の余韻、胸にじんわりと広がる感謝の気持ち。私たちはそれらを抱えて、静かに日常へ戻っていく。
訪れた場所のすべてが、いつのまにか自分の一部になっている。
私が撮った写真のひとつひとつにも、それが宿っている。
光と影のあわい、ほんの一瞬に、私という存在のかけらが編み込まれているのだ。
それは、世界と私のあいだに流れる、静かな対話のようなものだと思っている。

Entôを滞在先に選んだ理由は?
隠岐の島に出会ったのは、まるで運命のようだった。
建築や自然、料理に宿る美しさ。エレガントで無駄のないシンプルさ。そして、静かに、しかし揺るぎなく続く共同体の営み。そのすべてが、この島に息づいている。
ここでの暮らしには、喧騒から距離を置いた、意図ある静けさがある。立ち止まり、耳を澄ませたくなる。
本当に大切なものを、そっと思い出させてくれる場所。
あなたにとっての拠り所が、ここにあるかもしれない。

慌ただしさとは無縁で、どこか思慮深く、土地や海と静かに呼応している場所だった。
細部にまで行き届いた気配り、空間のひとつひとつに宿る哲学、そして出会った人たちの温かさ。
そのすべてが、いつの間にか置き去りにしていた何かを、そっと手渡してくれた気がした。

そして隣の西ノ島には、馬がいた。
雪の中を、どこへともなく彷徨うその姿は、私がこれまでずっと胸の奥に抱いてきた夢そのもののように思えた。
崖の上に立ち、海から押し寄せてくる雪雲をひとり見つめていると、不思議なほど静かで、どこか神聖な時間が流れていた。

思い出以上のものが、胸に刻まれた。
人生がこれほど美しく、意味に満ちていて、ゆっくりと味わうに値する。
そんなあたりまえのことを、あらためて思い出させてくれた旅だった。
あたたかく迎えてくれたEntôの皆さんに、心からの感謝を。
この経験は、きっとこの先も、私たちの中に生き続けていく。
また近いうちに会える。そう信じている。
愛をこめて。
サラ・ジェシカ・マリー・バーンズ
