「海士乃塩」を味わう。ひと粒に宿る、この島の記憶と風土
26.06.13
Entôダイニングの皿の端に添えられた、ひとつまみの塩。
それは、料理の脇に佇む完成された存在のようにも見える。
口に含むと、ただ塩辛いだけではない感覚が残る。
キリッとした口当たりと、わずかな苦味。
それでいて、どこか角がない。
この風味は、どこから来ているのだろうか。
この塩は、海だけで生まれるわけではない。
それを知ると、皿の上のひとつまみの向こうに、この土地の気配があることに気づく。
杵築 祥子(きづき しょうこ)
株式会社海士 地域開発事業部 マネージャー/神奈川県鎌倉市出身。2017年に「島食の寺子屋」一期生として海士町へ移住。島の自然と食、人の距離の近さに惹かれ、この地で生きることを決める。CASや岩牡蠣、牛舎など一次産業の現場を経験し、生産者に利益が返る仕組みをつくりたいと強く思うようになる。港の直売所「島じゃ常識商店」の運営に携わりながら、2025年に島の伝統産業である「海士乃塩」事業を承継。海と森、人の営みをつなぐ塩づくりを通して、地域経済の循環と文化継承に挑戦中。双子を含む三児の母。島の食材だけで食卓を囲めた時に、最も豊かさを感じる。
塩が生まれる場所で
その塩がどこから来ているのかを辿ると、視線は皿の上から離れ、島の風景へと移っていく。
保々見(ほぼみ)の湾は、外海に開きながらも波は穏やかで、どこか内側に留まるような静けさがある。
集落にある湧水はこの湾に流れ込み、海の水と混ざり合っている。この場所が塩の出発点だ。
塩づくりは、この湾の海水を汲み上げるところから始まる。
まず行われるのは、海水の濃度を高める工程だ。
汲み上げた海水を、そのまま煮詰めるのではなく、竹を組んだ枝条架(しじょうか)という装置に流していく。
約1,000本の竹を伝いながら、海水は上から下へと落ちていく。
そのあいだに海風が当たり、水分が少しずつ蒸発していく。
太陽と海風。目に見えない自然の力が、ゆっくりと海水を「塩」へと近づけていく。
どれくらい濃くなるかは、その日の天候によって変わる。
「風や湿度に左右されるので、晴れ間が見えないと濃縮のペースは遅くなるんですよ。自然が相手ですから、毎日一定ではないんです。」
海士乃塩の製塩に携わる杵築さんはそう話す。
濃度が十分に上がったところで、ようやく火にかける工程に移る。
濃縮された鹹水(かんすい)は釜に移され、薪で焚かれる。
朝から夕方まで、火を絶やさずに、焚き続けることで、鹹水が蒸発し、塩の結晶が現れてくる。
一般的な塩の多くは、工場で機械を使って一気に製塩する。しかし海士乃塩は、この原始的な「枝条架(しじょうか)」での濃縮から、釜焚き、脱水、天日干しに至るまで、すべての工程が島の天候に委ねられている。気が遠くなるような時間をかけて、塩は仕上がっていく。
同じようにはいかない
ただ、強く沸かし続ければいいわけではない。
その日の状態を見ながら、火加減を調整していく。
同じ工程を経ても、結晶の出方は毎回違う。
その後、塩は干されていく。
乾くまでの時間も、天候によって変わる。
「湿度が違うだけで、全然変わるんです」
杵築さんは、その日の空気を確かめるようにそう話す。
海士乃塩には、毎回同じ仕上がりというものがない。
それはこの土地の気候が残した痕跡のようでもある。
「マニュアル通りには一切いかないんです」
海士乃塩の製塩に携わる杵築さんは、日々その変化と向き合っている。
同じ工程を踏んでいても、「その日によって違う」ものになる。
決まったやり方に当てはめるのではなく、状態を見ながら手を入れていく。
かつて、製塩を機械化した方がいいのではないか、という話もあったという。
効率化へと傾きかける空気のなかで、杵築さんはこの営みを引き継いだ。
「この事業は、この島の財産になるものだと思っているんです」
海士乃塩には、この島のものだけを使ってつくることや、先人たちの思いを汲み取る感覚が残っている。
杵築さんは、そこに島の人たちが大切にしてきたものが凝縮していると感じている。
「もしこの工程が守れなくなるのであれば、引き継ぐ意味がないと思っていて」
杵築さんの言葉には、強い覚悟が滲んでいた。
つくるというよりも、その日の状態に応じて整えていく。
その積み重ねの中で、塩ができていく。
わずかな変化を受け取りながら、塩は少しずつ仕上がっていく。
この土地の地形や気候、人の営みが、ひとつの味として現れている。
そうした土地の条件が、まるごと味に現れるところに、海士乃塩の魅力がある。
味わうことで、風土に触れる
そうして続いてきた塩づくりは、いま、食の時間のなかにも息づいている。
Entôのダイニングでは、海士乃塩が料理やデザートのなかに用いられている。
たとえば、ジェラートの甘さに、わずかな輪郭を与えるように。
口に含んだあと、甘みだけでは終わらない余韻が残る。
その奥行きのなかに、塩の存在が静かに働いている。
料理のなかでも、同じように働いている。
塩味を足すためではなく、素材の香りを引き出し、旨みを整え、全体の印象を支えていく。
前に出ることはなくても、味わいの芯を支えている。
目に見えるかたちではなくても、この塩はたしかに皿の中に息づいている。
料理とともに味わうことで、この土地の気候や人の営みが、少しずつ身体へと入ってくる。
ダイニングで塩に触れたあとは、ぜひEntôショップや港の島じゃ常識商店へ足を運んでみてほしい。ひと粒を持ち帰ることは、島の記憶を自分の日常へと連れて帰ることでもある。
また、塩の出発点である保々見地区では、塩づくりに触れられる機会も少しずつ生まれている。
塩づくりの記憶が続いている
この塩づくりは、もともと地域の中で受け継がれてきた営みの延長にある。
終戦前後までは、竹を二つに割り、そこに海水を溜め、海遊びをしながら塩を焚くのが子供たちの夏の仕事だったそうだ。
その後、1998年前後に、子供時代に作った塩が美味しかったと懐かしんで、地域の有志が再び立ち上げた。
6人のメンバーによって始まった取り組みは、2004年、「海士御塩司所」として形になった。
この土地で塩を焚く営みは、中世の頃、後鳥羽院がこの島に流された時代にも、その風景はすでにあったのかもしれない。
藻塩やく 海士のたく縄 うちはへて くるしとだにも いふかたぞなき
後鳥羽院は、遠島百首のなかでそう詠んでいる。
海辺に火があり、煙がのぼり、人の手が動いていたこと。
その光景は、歌として残り、いまもこの土地に重なっている。
もちろん、すべてがそのまま続いてきたわけではない。
工程も、道具も、途切れたものがある。
変わってきたものもある。
それでも、断片的な記憶は残っている。
海辺に火があり、人が集まり、夜を越えていく。
「夜通し酒を飲みながら塩を焚いていた、という話も残っているんです」
そう杵築さんが教えてくれたように、
塩づくりは、単なる作業ではなく、人が集まり、時間をともにする場でもあった。
酒を酌み交わしながら火の番をしたという話も残る。
にがりで豆腐をつくった記憶もある。
塩は、暮らしの中心にあった。
記憶の断片に触れながら、いまの製塩は続けられている。
かたちをなぞるのではなく、この土地で続いてきた営みとして、引き受けていく。
杵築さんは、海士乃塩を単なる商品ではなく、「文化として残したい」と話す。
それは、塩そのものだけではなく、この土地で続いてきた時間や、人の営みごと受け継いでいくことなのかもしれない。
火を見て、手を入れ、状態を見ながら整えていく。
杵築さんは、そうした変化に日々向き合いながら、塩を焚いている。
その積み重ねの中で、塩はつくられていく。
いくつもの手によって続けられてきたこの営みは、
かたちを変えながら、いまもこの土地に残っている。
皿の上に添えられた、ひとつまみの塩。
それを口に含んだとき、
土地に積み重なってきた時間や、人の営みに触れるような感覚が残る。
その気配は、ひとつまみの中に残っている。
今、塩に触れることは、
この島が受け継いできた時間の流れに、そっと触れることなのかもしれない。
その一粒は、この土地のこれからを、静かに育てていく。
― text ―
浅川友里江
東京生まれ、山梨育ち。学生時代から写真や映像、音楽やサブカルに夢中になり、デザインや執筆、ブランディングの仕事へ。京都ではホテル開業に携わり、マーケティングを担当しながらウェルカムDJまで。趣味と仕事が表裏一体で、遊びや表現活動がそのまま仕事につながる時代を過ごした。
2021年にEntôを訪れ、2024年に海士町へ移住。現在はEntôのマーケティングを担っている。
島では猫とシェアハウスで暮らし、地域のグラウンドゴルフに参加したり、友人と和歌短歌を愉しむのも日常に。これからは音楽や食の楽しみも広げながら、遊びと仕事を行き来しつつ"島の余白"を彩っていきたい。
― editing ―
小松崎 拓郎
1991年、茨城県龍ケ崎市生まれ。島根県の石見銀山遺跡とその文化的景観に抱かれる町・大森町で妻と二羽の鶏、愛犬と共に暮らしている編集者。エドゥカーレ社代表。会社のファンを増やすオンラインマーケティング支援サービス「カンパニーエディター」、自然のために働く人を増やし、自然を愛する人の輪を広げていくプロジェクトデータベース「GOOD NATURE COMPANY 100」を運営。