一皿に表される土地の物語に耳を澄ます
26.07.28
Entôダイニングが見つめる、隠岐のジオガストロノミー
Entôダイニングの大きな窓の向こうには、島前カルデラの海が広がっている。
船が行き交う海を眺めながら、テーブルには、隠岐の食材を使った一皿が運ばれてくる。
そこにあるのは、ただ「島で採れたもの」を味わう時間ではない。
海で獲れる魚、田んぼで育つ米、畑の野菜、島でつくられる乳製品。食材の向こうには、隠岐の自然や歴史、そこに暮らす人たちの営みが静かに重なっている。
Entôダイニングは、オープンから数年、鉄板焼きという形で食事を提供していた。その後、外部シェフの監修を経て、現在は、イタリア料理の技法を取り入れた8皿のコースを提供している。隠岐の食材とその背景を一皿ずつ重ねながら、コース全体でこの土地を表現する料理だ。
その料理を中心となって組み立てているのが、料理人の坂下鼓太朗だ。高校時代の3年間を海士町で過ごした坂下は、島の海や田んぼの風景を身体で覚えている。そして再びこの島で暮らし、日々の中で変わりゆく隠岐の表情を感じ続けている今、 その感覚と、料理人としての視点を重ねながら、隠岐の食材を背景ごと受け取ろうとしている。
「鉄板焼きは、素材に対して正直な調理法であるという印象があります。でも、その背景を深く表現することは難しいと感じていました」
坂下が今、Entôダイニングで表現しようとしているのは地産地消ではない。
食材や生産者、自然や歴史をさまざまな角度から受け取り、料理だけではなく、その奥にある土地の背景まで味わうこと。
こうした食のあり方を考えるうえで、手がかりになるのが「ジオガストロノミー」という言葉だ。
風土を味わうジオガストロノミー
坂下の言葉を借りれば、それは「隠岐に正直」な料理を表現することでもある。
この土地の食は、自然環境だけで成り立っているわけでも、人の工夫だけで生まれてきたわけでもない。
たとえば、小醤油味噌。
隠岐では、地理的に醤油をつくることが難しかった。だから、醤油に寄せたこうじみそが生まれたと言われている。そこには、人が何かを新しく発明したというより、その環境の中で「そうするしかなかった」ことから生まれた味がある。
岩牡蠣にも、隠岐らしい食のあり方が表れている。
古くから自然に受け継がれてきたものではなく、隠岐の海の環境を生かし、地域の産業として育てられてきた食材。そこには、この土地の自然を読み取りながら、時代に応じて食のあり方を形にしてきた人の営みがある。
また、牛を飼う営みが根づく海士町では近年、ジャージー乳牛を放牧し、牛乳や乳製品をつくる新たな酪農の営みも始まっている。
昔からあるものだけではなく、今この土地で生まれつつあるものにも目を向けながら、坂下は隠岐の食の、次のあり方を考えている。
そして、坂下が特に思い入れを持っているのが、お米だ。
海士町には、島の中に平野があり、湧水にも恵まれてきた。だからこそ、この地では稲作が営まれ、田園風景が受け継がれてきた。坂下にとってその風景は、高校時代から見続けてきた記憶でもある。
放課後、自転車で島を巡り、釣りに出かける。田んぼの間を抜ける道を走るたび、季節ごとに色を変えていく風景に目を奪われたという。
その記憶は、Entô Diningの料理にもつながっている。
コースに登場するリゾットには、海士町のお米と、隠岐の島町で獲れる白バイ貝の出汁が使われる。山や田んぼから流れる豊かな水と養分が、巡り巡って豊かな海を育てるという、隠岐の自然が持つ循環。平野と湧水に支えられてきた米に、隠岐の海から届く貝の旨みを重ねる。里山と海の味わいを、ひと皿の中で感じられるように組み立てている。
「歴史や生態系といった料理の背景を、人為的ななにかを加えることなく、そのままお客様に伝わるように表現したい」
それが坂下にとっての、隠岐に正直な料理だ。
クリアな海を、そのまま手渡すために
なかでも、魚料理には坂下の海へのまなざしが色濃く表れる。
「魚は決まっていないんです。漁師さんからの連絡に委ねています。」
坂下は、魚種を細かく指定しない。漁師が「今、これが獲れます」と持ってくるものを残さず受け取り、自分の目で見て、触って、状態を確かめる。
大切なのは、魚が水揚げされた瞬間から料理が始まっているということ。締め方や血抜き、処理の仕方によって、その後の味わいは大きく変わるからだ。
漁師がどのように魚を獲っているのかを見て、自分でも締め方を示しながら、「こうしてもらえるとうれしい」と伝える。漁師の正解があり、料理人としての希望がある。そのあいだを、少しずつ言葉と感覚で共有していく。
隠岐の魚について、坂下は「クリアな味わい」という言葉を使う。長崎の九絵、氷見の鰤のように、土地の代名詞とされるような魚はいないが、獲れる魚すべての質が高く、「どの魚も80点以上」と言えるほど、海そのもののポテンシャルが高いのだ。そんな海は日本でも稀有な存在である。
だからこそ、漁師がどのような処理を施し、料理人がどう受け取り、表現するかで残りの2割が変わる。その感覚を、坂下は大切にしている。
調理法として選ぶのは、主に炭火焼き。
低温調理で何分、サラマンダーで何分など、計算されつくした調理ではなく、限りなく原始的に近い炭火の中で熱量を蓄えながら焼いていく。
船上で漁師の手から始まった魚の調理が、最後に陸で起こされた炭火によって完成する。坂下は、それこそがこの島で獲れる魚の特徴や、「海から大地への自然な流れに寄り添った味わい」を表現できると感じている。
完成形ではない、という正直さ
一方で、自然は変わり続けている。
高校生の頃から海に潜ってきた坂下は、高校とEntôが建つ菱浦周辺の海を、身体で覚えている。どこに岩があり、どこに海藻があるか。海中の地形まで、感覚として残っている。
けれど、数年ぶりに海に戻ったとき、景色の変化を感じたという。海藻が減り、生き物のいる水深が変わり、魚の獲れる時期も少しずつずれている。
料理人としては、魚の旬がずれることで、お客さまが多く訪れる時期に良い状態の魚を出せることもある。ただ、同時にそれは、海の環境が変わっているということでもある。
その変化を、こちらにとって都合のよいものとしてだけ受け取ってよいのか。坂下の中には、簡単には割り切れない感覚がある。
自然は嘘をつかない。人の営みによる影響は、自然の中に結果として現れる。だからこそ、坂下は、聞こえのよい表現だけで料理を語ろうとはしない。
料理としての完成度を高めること、より多くの人に食べてもらうこと、一人ひとりに料理の背景を伝えること。そのどれもを大切にしようとすると、簡単には割り切れない葛藤も生まれる。
坂下にとって、料理人であることは、最初から目的だったわけではないという。
高校時代、生産者や一次産業に関わる人たちと出会い、その背景を知ることで、「食べること」に豊かさを感じるようになった。大好きな生産者たちの想いや営みを、料理を通して誰かに届けたい。その手段として、坂下は料理人という道を選んだ。
けれど今は、手段としてではなく、料理が大好きだと自信を持って言える。伝えたい想いと、料理人という形が、少しずつ同じ場所に重なってきている。
今この土地で起きていることを、都合よく美しく見せるのではなく、変化や違和感も含めて受け止める。その姿勢が、坂下のいう「隠岐に正直」な料理につながっている。
食を起点に、旅が広がる
一皿の背景をたどっていくと、そこには食材だけでなく、人の営みが見えてくる。
米をつくる人がいる。
畑で野菜を育てる人がいる。魚を獲る人、牛を飼う人、乳製品をつくる人がいる。
ただ食材を生産しているだけではなく、それぞれが、それぞれの場所で、土地や海と関わりながら日々を積み重ねている。
Entô diningが料理を通して届けようとしているのは、特定の生産者の名前だけではない。
その食材がどこから来て、どんな背景を持っているのか。そこに少し触れることで、食べることの見え方が変わる。
旅の途中で見た田んぼや畑、漁港、放牧地の風景が、一皿の記憶と重なり、この土地そのものを味わっていたことに気づく。
そして、食事を終えた人は再び船に乗り、島を離れていく。
けれど、その時間は旅の終わりとともに終わるわけではない。日々の食卓に戻ったとき、目の前の米や魚、野菜や調味料にも、それぞれの土地があり、人の営みがあることにふと目が向く。
隠岐で味わった一皿は、旅の記憶としてだけではなく、食べることを見つめ直す小さなきっかけとして、心に残り続けるだろう。
― text ―
浅川友里江
東京生まれ、山梨育ち。学生時代から写真や映像、音楽やサブカルに夢中になり、デザインや執筆、ブランディングの仕事へ。京都ではホテル開業に携わり、マーケティングを担当しながらウェルカムDJまで。趣味と仕事が表裏一体で、遊びや表現活動がそのまま仕事につながる時代を過ごした。
2021年にEntôを訪れ、2024年に海士町へ移住。現在はEntôのマーケティングを担っている。
島では猫とシェアハウスで暮らし、地域のグラウンドゴルフに参加したり、友人と和歌短歌を愉しむのも日常に。これからは音楽や食の楽しみも広げながら、遊びと仕事を行き来しつつ"島の余白"を彩っていきたい。
― editing ―
小松崎 拓郎
1991年、茨城県龍ケ崎市生まれ。島根県の石見銀山遺跡とその文化的景観に抱かれる町・大森町で妻と二羽の鶏、愛犬と共に暮らしている編集者。エドゥカーレ社代表。会社のファンを増やすオンラインマーケティング支援サービス「カンパニーエディター」、自然のために働く人を増やし、自然を愛する人の輪を広げていくプロジェクトデータベース「GOOD NATURE COMPANY 100」を運営。