心を癒す場所 ― 隠岐に眠る静けさの記憶

25.11.22

column

アンドロニキ・クリストドゥール(Androniki Christodoulou)

心を癒す場所 ― 隠岐に眠る静けさの記憶

異国からやってきたひとりの写真家が、この小さな島で何もないことの豊かさを見つけた。
海の光に包まれたフェリーの甲板、Entôの窓辺で追いかけた夕暮れの色、そして畑で笑い合う93歳の女性。
そのひとつひとつの瞬間を、静かなまなざしで切り取っていく。

ギリシャと日本を行き来しながら活動するフォトジャーナリスト、アンドロニキ・クリストドゥール。彼女は、長年にわたり、世界中の人々の暮らしと文化を記録してきた。

彼女の眼を通してみえるのは、自然と時間が形づくる静けさのリズム。
その瞬間の連なりが、ひとつの記憶としてここに残る。

文・写真:アンドロニキ・クリストドゥール

Androniki Christodoulou

ギリシャ・テッサロニキ生まれのフォトジャーナリスト。
2004年アテネオリンピック公式カメラマンを経て東京を拠点に活動し、現在もギリシャと日本を往復しながら世界各地の文化と人々の営みを記録している。『Financial Times』『TRANSIT』などで作品を発表し、Apple Japanなどの撮影も手がける。彼女の写真には、土地の記憶と人の息づかいを静かに見つめるまなざしが宿る。

文・写真:アンドロニキ・クリストドゥール

Androniki Christodoulou

ギリシャ・テッサロニキ生まれのフォトジャーナリスト。
2004年アテネオリンピック公式カメラマンを経て東京を拠点に活動し、現在もギリシャと日本を往復しながら世界各地の文化と人々の営みを記録している。『Financial Times』『TRANSIT』などで作品を発表し、Apple Japanなどの撮影も手がける。彼女の写真には、土地の記憶と人の息づかいを静かに見つめるまなざしが宿る。

島の時に、身をゆだねる晩餐

2025年5月。私はギリシャにルーツを持つ作家、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)をテーマにした取材の途中で、中ノ島を訪れた。

東京の慌ただしい日々を離れ、フェリーや内航船に揺られながら甲板で海を眺めていると、島影がゆっくりと近づいてくる。

やがて、夕方の光を受けて柔らかく輝く大きなガラス窓が見えてきた。これから二泊を過ごす場所、Entôだ。

穏やかな空気に包まれた島に上陸したとき、心が解き放たれていくようだった。


夕食の開始が18時と聞いて、少し早いように思った。他の宿泊客がまだ現れない静かな時間、海を望む大きな窓のそばに腰を下ろす。

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次々と運ばれてくる美しいコース料理。空の色とともに味も移りゆく。

最初の一皿をいただくころにはまだ明るかった空は、最後の一皿を終えるころに合わせてゆっくりと暮れていった。 早めに食事を始めたのは、島の時間に迎え入れられる小さな儀式のように感じられた。

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翌朝は、思いのほか早く目が覚めた。

ガラスの壁越しに荘厳な朝日が差し込む。遮るもののない海の景色。ベッドにいながら壮大な朝日がゆっくりと差し込んでくる。そのあと階下の温泉に浸かると、金色の朝の光が湯の上に揺れていた。

島に息づく記憶

まだ朝の静けさが残る時間、私は港へ向かった。

小さな船が並び、水面に映る光景に、ギリシャの島々の記憶が重なって見える。

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ハーンにとって、中ノ島、なかでも菱浦港は隠岐諸島の中で最も愛した場所だったという。
彼はこの地の人々の素朴な日常を観察し、こう記している。

「この愛らしく穏やかな生活のすべてが目の前に開かれており、私はそれを眺めるのが好きだった。」

私もまた、カメラを手に、その生活を見つめに来たのだった。

港で電動自転車を借り、ハーンの足跡と作品の面影をたどる旅へ出かけた。

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ほどなくして、海を見つめるハーンと妻セツの像に出会う。

かつて彼が滞在した旅館がこの場所にあり、像のそばには、彼がこの島への想いを綴った言葉が刻まれていた。その敬意に応えるように、島の人々は彼を「特別な客」として受け入れたという。

この島には、もう一人、歴史に名を残す人物がいる。

それは、流刑の地としてこの地で暮らした後鳥羽上皇だ。

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彼を祀るために建てられた隠岐神社と、その隣の小さな資料館を訪ねた。

こんなに美しい島での流刑生活は、どんなものだったのだろう。

けれども確かに、この島の風景は彼を刺激し、数多くの和歌を生み出す原動力となったに違いない。

自転車で島を巡るうち、豊かな緑や青い海を背に広がる田園、伝統的な家並み、そして赤い岩が連なる明屋海岸の光景に心が癒されていった。

やがて、無数の小さな仏像が並ぶ山を登る。島を見渡せる場所を探していると、そこが巡礼の道のひとつであることにふと気づいた。

午後になると、畑で作業をする人々の姿があった。

写真を撮っていると、93歳になる可愛らしい女性が話しかけてくれた。

方言が強く、すべてを理解できたかは定かではないが、彼女の笑い声に心が通じているように感じた。

帰り際、「おみやげに」と、土から掘りたてのレタスを手渡してくれた。後で聞いたところによると、中ノ島の人々は多くが農家であり、同時に漁師でもあるそうだ。島全体で、食の自給が成り立っているという。

翌朝、島を離れる前に、崎港へ立ち寄った。漁から戻ったばかりの漁師たちが、笑い声を交わしながら魚を仕分けていた。活気に満ちた声が港に響く。

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「何もない」という豊かさ

中ノ島の暮らしは、今もどこか懐かしく、穏やかで、少し不便かもしれない。けれど人々はその暮らしを受け入れ、満ち足りた表情をしている。

短い滞在だったが、その魅力を肌で感じ、まるで長く滞在したかのような充足感に包まれていた。

滞在中にたくさん助けてくれたEntôのナナさんの存在も、その居心地のよさをいっそう深めてくれたように思う。

出航のとき、船の上から彼女に手を振った。それは、ホテルのスタッフにではなく、友人に別れを告げるように感じられた。

またいつか。ゆっくりとこの美しい島を訪れ、じっくりと味わえる日が来ることを願っている。

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