あなたの日常にも、誰かの旅が続いている – from staff 【コラム】

24.04.27

海士町 コラム

白水 ゆみこ

あなたの日常にも、誰かの旅が続いている – from staff 【コラム】

私達の記憶を彩る、いつの日か島を訪れてくれたあなたへ。
そしてこれから出会うかもしれない旅人へ。

ここはなにもないけれど、なにかある遠島。
あの小泉八雲も、こんな言葉を残している。

“ 私は隠岐で、強い力でその影響を遠くまで及ぼしている文明から逃れているという喜びを味わい、人間の生存にとって、あらゆる人工の及ぶ範囲を越えて、自己を知る喜びを知ったのである。”

その予期せぬ出逢いは「面白い」の一言では収められない、かけがえのないもの。これは、島で起こる《なにか》を記した置き手紙。

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白水 ゆみこ(しらみず ゆみこ)
福岡県出身。2017年から約4年間、熊本・黒川温泉にある老舗旅館で仲居として働き、宿を通じて旅人が土地と交わることに魅力を感じる。2021年、観光のその先を探しに飼い猫と海士町へ来島しEntôを運営する株式会社海士へ入社。尊敬する人は土井善晴氏。飲み屋のカウンターで初対面でも話し込むタイプ。島での暮らしを、食と言葉で表現するひと。

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Photographer:佐藤 奈菜(さとう なな)
北海道札幌市出身。アメリカで数年を過ごし、代表の青山と同郷であることなどからEntôや海士町に興味を抱き、帰国後2022年に移住。暮らしのなかで撮る、ふとした写真と言葉のセンスで周囲を魅了する。現在は主にマーケティング事業を担当。葛藤や悩み、楽しいことやチャレンジを惜しみなく全身で受け止め生きる、情緒的で柔軟な姿に影響される人も多い。

Model:伊藤 貴博(いとう たかひろ)
東京都出身。ホテル専門学校を卒業後、東京のシティホテルへ就職。海外や沖縄勤務、京都ENSO ANGO開業準備とホテル総支配人を経て、2023年6月に株式会社海士Entô General Managerに着任。音楽は小林幸子や庄野真代などの昭和歌謡曲を好み、サービスではなくホスピタリティを体現する人情深さがある。生粋のホテルマンとして兄貴的な存在。

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春たけなわの候

長かった冬から暖かくうららかな春へ。

朝晩はまだ肌寒く、シェアハウスのリビングを陣取るこたつの片付けどきが悩ましい。

早くも昼間には夏を想起させる陽射しがEntô館内にも届きはじめ、眩しくジリジリと、気付けばわたしたちの上着を剥いでゆく。

通勤途中で集団登校の場面に遭遇し、新しい環境へ前のめりに駆けてゆく姿にエールを送った。



日本海に浮かぶ隠岐諸島の春、刻々と季節の終わりと芽吹きが同居している。

眼前の海は、海藻やプランクトンの影響か、日により濃い緑色の溶け込むような色を魅せてくれる。

フェリーが行き交うと、浮遊する海藻が波と一緒に踊り、摩擦で沸きたつ泡の濃淡が美しい。

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かつて、そんな水の色を模して「緑水園」と名付けられていたEntôオープン以前の施設名。当時の町の広報誌には、こんなフレーズで紹介がなされていた。

「 春たけなわ 磯の香り高いなかに開館 」

1971年に国民宿舎として開業し、1994年に増築を経て「マリンポートホテル海士」へ。2021年には現在の姿「Entô」に至るまで、建物自体には半世紀に及ぶ歴史が蓄積されている。

夏に向け、一層深い色合いを織りなす景色は、人の誕生以前から変わらずここにあったはず。

長い年月と共に、この地域一帯の変貌を見守り続けてくれたのだろう。



海は森と繋がり、その繋がりが豊かな水を育み、あらゆる命を島で循環させる。

命が巡ることは当たり前のようでいて、実際はきっと緻密で繊細な営みの証明なのかもしれない。

貴重な土地の恵みに恩恵を受けて、2300名余りの島民は今日も春を愛で、土を耕し、旅人を迎え入れ、地元も移住者も、ごちゃ混ぜにして命を紡いでいる。

遠く向こうから響くご近所の草刈り機音が、島の春の息吹を浸透させてくる。

草の青い匂いとあたたかい風が囁くように頬をかすめた。

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日々の命をつなぐ漁

少し遡り、指先かじかむ真冬の光景は、後ろ髪をひかれるようにまだ脳裏に浮かんでくる。

軽自動車のタイヤが埋まるほど、ある日どっさりと降り積もった雪。

道路脇に積み固められ、静かに少しずつ小さくなり、姿を見せなくなるまで約2週間ほどかかった。

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最低気温がマイナスになる日々の合間に、刺し網漁という漁網を用いた漁を体験した日もあった。

早朝5時ごろ集合し、岸壁に固定された小型の漁船に乗せてもらう。

沖へ出て直ぐに、冷たい向かい風と水しぶきは無数の針になって僅かに出していた皆の顔を叩いた。

一緒に乗船した伊藤さん(Entôマネージャー)は、そんな海の洗礼も跳ねのけるようにして、この網は何メートルあるのか、今はどんな魚種が捕れるのか、お客さんとも一緒に漁をやりたいなど、次々と船長へ質問やアイデアを織り交ぜ語りながら、ひたすらに身体を動かしていた。


「網にこうやって魚が引っ掛かる。そこ、外せなかったらほれ、これを使い」

言われたとおりにやってみるものの、細かな網目に絡まった魚を扱うことは素人には難儀だった。

その横でひょいっと、大小かたちも様々な魚を次々に外すベテランたちの手さばき。

この道何十年とやってきた動きには無駄がなく、ひたすら真似てはみたが上達はしなかった。

彼らの器用な手先は、身体と網と、それにかかった魚とも一体化して見えた。

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暮らしの延長にある観光

時に、人々の来島を阻む隠岐の荒波に乗り、冬のあいだも遠路遥々やってくるゲストたち。

わたしたちは真っ白な雪をかき、火を焚き、島の豊かな食材で迎えた。

島民にとっては日常の光景も、訪れる人々にはどこか懐かしさを隠した未知の旅先になる。

島民の「ケ」の暮らしと、誰かの「ハレ」の旅。

あると思いこんでいた境界線が、じんわり解けていくような場所。

自転車で颯爽と島の歴史を巡る人、
隣の島々へ渡り観光名所を楽しむ人、
部屋で景色に抱かれて内省し自分を労う人。

チェックアウト後の部屋に、どんな旅だったか、メモやスケッチを残してゆく人も少なくはない。

「楽しかった、また泊まりにいきます」
「久しぶりにゆっくりできた」
「大切な人を連れてきたくなった」

清掃に入りながら、直筆の思い出をベッド脇に見つける度、言いようのない情が湧いてくる。

あの日こっそり置き土産をしていったあなたに、またこの島で再会したい。

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そうこうしていると、あっという間に島の気温は上がりはじめ、庭木の彩りは梅から桜へ、

蕗の薹が出たと思ったらホトトギスが鳴き、筍や山菜と、春の役者たちが次々と命を灯す。

かたや、目覚ましく発展した現代を生きるわたしたち人間の営み。

十分すぎるほど備わっているけれど、粛々と環境に適応していく花々や虫や鳥たちに比べると、随分と遅れをとっているのかもしれない。

季節に置いていかれまいと、衣替えをし、花を飾り髪を整え、今日もゲストを迎える支度をし玄関を出る。

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