島で過ごす時間を通じて、自分自身と向き合い、人生を見つめ直す特別な旅。
隠岐諸島にあるEntôが提案する「セルフウェルビーイング」プランは、忙しい日常から一歩離れ、心と体を解きほぐす唯一無二の時間です。
前回の記事では、このプランを手掛けたスタッフの一人・吉田雄太の声をお届けしました。彼が実際に海士町で体験した「旅と内省」。これまでに20名を越える方々が「セルフウェルビーイング」プランを通して、自分の心の奥に秘めている思いや人生への問いを島で受け取り、日常へと持ち帰ってくださいました。
今回はプラン誕生に先駆け、約1年前にEntôを訪れてくださった、田中拓海さん(*ホテルに特化した求人メディア「hoteltree(ホテルツリー)」 創業者)から、この島で感じた心境の移り変わりや問いを持ち帰ったその後の暮らしについてお話しを伺います。
文/白水 ゆみこ
写真提供/田中 拓海
取材/岡本 華歩
取材・編集/エドゥカーレ
「自然の中に溶け込んでいる」ような没入感
── 今回の来島は、このプランを手がけた友人の吉田さんからの勧めだと伺いました。初めての来島だったということですが、何か期待や準備をして来られましたか?
施設の成り立ちや訪れるために必要な基本の情報は確認したんですが、事前情報は敢えてできるだけ調べずに来るようにしました。その方が新鮮な体験ができると思ったからです。
── 全体的な印象としてはどうでしたか?
一言でいうと、本当に素晴らしかったです。
宿泊業に特化したメディアを運営している関係で、これまで色々なホテルや施設を見てきましたが、Entôでの体験はこれまでにない特別感があって。コンセプトとして掲げている“seamless”を全身で感じることができました。
── それはどんな感覚ですか?
一般的なリゾート系ホテルでは、「自然の中にいる」というより「自然を見る」という感覚が強いんです。でもEntôでは、なんというか、「自然の中に溶け込んでいる」ような感覚があったんです。
建物の中も、島そのものも、歩きながらその一体感を肌で感じました。建築デザインによるシームレスさだけではなく、接客面でも、スタッフの方々と話しているときに接客をされているというより、島の人と話しているような感覚でした。
そういったことを含めてなんの違和感もありませんでした。気付いたらその島に没入していて、まるで映画を見ているときのように、仕事や日常を完全に忘れられる体験でしたね。
幸せの軸に気付いた焚火と問いの時間
── 「セルフウェルビーイング」プランを通じて田中さんが隠岐に滞在されたのは、約1年前でしたね。問いのカードを引いたり、NAISEI NOTEがプランに組み込まれていたりと、スタンダードな滞在にはない体験をされたと思いますが、どんなことを感じられましたか?
スタンダードな滞在を経験していないので比較はできないかもしれませんが、NAISEI NOTEや問いのカードも含めて、自分では思いつかないような問いをもらうことで、考えが深まっていく感覚がありました。
── 例えばどんな場面がありましたか?
たまたま1対1で囲んだ焚火の時間に引いたカードに書かれていたのは、「本来のあなたを思い出すエピソードはありますか?」という問いでした。一人でカードを引いていたら、自分の中で答えて完結していたと思います。
でも、旅先での近しい人との対話では、お互いに普段より深いことが言える感覚で。焚火を前にして対話を重ねるなかで、その問いの答えに少しづつ輪郭が見えてきたように感じます。滞在中だけでなく、帰りのフェリーの移動中もずっと頭の中で考え続けていました。
── 日常の中で本来の自分について急に問われると、戸惑うかもしれません。でも、焚火の時間だったからこそ、自然と考えることができたのかもしれませんね。問いのカードを引いたとき、当時どんなことを考えていたか、覚えていますか?
ちょうど自分のキャリアについて考えているタイミングだったこともあり、『何が楽しかったかな?』と振り返ると、初めて社会人になった頃のことを思い出しました。達成した成果そのものよりも、それをメンバーが喜んでくれた瞬間が、自分にとって一番嬉しい思い出だったんです。それって、兄弟を喜ばせたかった幼い頃の自分と、今もあまり変わってないかもしれない、と気づきました。もしかすると、周りの人が喜んでくれることが、自分の幸せの軸なのではないか。そう思うと、そういう軸でキャリアを築けたらいいなと思ったんです。
今は求人メディアの仕事をしていますが、採用人事として会社や組織の中で働くことで、より濃くその軸に沿ったキャリアを築けるのではと考えています。実際、現在は一企業で採用人事としても活動しているんです。
久しぶりに味わった鳥肌が立つような感覚
── 滞在を通じて、今に活きていることはありますか?
NAISEI NOTEの問いには、自分が大切にしたいものや良いと思うことについて考えさせられるものが多くて、そこで初めて自分の中にある「良い」「悪い」を言語化する機会になった気がします。なにを大切にして生きていこうか、自分の感性とは何か、そういうことを改めて考えるきっかけになりました。
学生時代にはバックパッカーとして海外を旅していて、よく旅先で素晴らしい景色や体験に触れるたび、鳥肌が立つような感覚があったんです。でも、社会人になってからはその感覚を忘れてしまっていました。
そんな中でEntôを訪れたとき、久しぶりにその鳥肌が立つような感覚を味わいました。なんて言うんでしょう…、滞在中ずっと「シャッターチャンス」のような瞬間の連続で、本当に、圧倒的に良い時間でした。
この感覚こそ、自分にとって大切だったんだなと気づいて、それを改めて言語化し、自分の中で大事にしようと思えたんです。当時は仕事に追われて感性を忘れがちでしたが、Entôでの滞在をきっかけに、自分が本来持っていた感覚を取り戻せた気がします。最近では、美術館とか映画とか、意識的に生活に取り入れるようにもなっています。
自然の美しさに触れ大切な人を思う体験
── 特に記憶に残っていることはありますか?
滞在中に雨が降ったんですよ。2日目か3日目だったか……。Geo Loungeの椅子に座って、目の前の海と景色をずっと眺めていました。雨が降っているのに、驚くほど綺麗だと感じている自分がいましたね。
あとは、NAISEI NOTEに「一人で完結する食事は寂しい」と書いてあります(笑)。問いの一つに「どんな食事に幸せを感じますか?」と書かれていて。すごくおいしい料理だったので、この時間は誰かと共有したいなと感じていました。
それにEntô Diningの夕食中に、ふと親を連れて来たいと思ったんです。喜ぶだろうなって。ゆったりとした時間の中で食べるコース料理を楽しむ体験が、自分の中で何かを感じさせるものだったんだと思います。
あとがき/インタビューこぼれ話
Entô滞在から約1年が経った今でも、まだ当時の余韻が残っていると語ってくれた田中さん。そんなにも長く余韻が残っている理由を伺いました。
初めての体験としてではなく、旅や仕事を通じて、色々なホテルやリゾート地を訪れたうえで「良かった」体験だったということ。また仕事の面からは、建築的な没入感や、町との共存といったこともモデルケースとして思い起こされるとお話しいただきました。
また、とても鮮明に当時のことを話してくださる理由の一つには、田中さんが大学生の頃から綴っている日記の存在がありました。大学生時代は紙に、今はデジタルに記録していつでも見返せるものになったようですが、中でも特に文量の多いページが残っていて、それがEntô滞在中の記録だった、ということです。この旅の最終日、フロントスタッフに連れられて島のスナックを訪れたことや、インタビューの冒頭で何度か繰り返されていた“seamless”や“没入感”についても書き残されています。
今回、田中さんが体験された「セルフウェルビーイング」プラン。田中さんならどんな方へおすすめしたいか尋ねると、ご自身の滞在中の経験からも、これからのキャリアを考えていたり、内省していくなかで答えを見つけられるような問いを持っていると、良い滞在になるかもしれないと答えてくださいました。
初めて訪れた隠岐の旅から1年が経ち、現在はのんびり仕事をさせてもらっていると話しつつも、やりたい事には本気で向き合い、定期的に自然に触れているそうです。
ここは、なにもないようで、大切なものはすべてある遠島の地。あなたの大切にしていること、取り戻したい気持ち。この遠い島で “じぶん”を知る旅へと出かけてみませんか。
― Text ―
白水 ゆみこ(しらみず ゆみこ)
福岡県出身。2017年から約4年間、熊本・黒川温泉にある老舗旅館で仲居として働き、宿を通じて旅人が土地と交わることに魅力を感じる。観光のその先を探しに、2021年飼い猫と海士町へ来島、Entôを運営する株式会社海士へ入社。尊敬する人は土井善晴氏。飲み屋のカウンターで初対面でも話し込むタイプ。島での暮らしを、食と言葉で表現するひと。
― Interview ―
岡本 華歩(おかもと かほ)
三重県出身。都心での生活を謳歌した後、直感に従い離島や田舎を転々とする1年間を過ごす。2024年早春、Entôのコンセプトに惹かれ海士町へ。面接を終えたその日から移住し、現在はフロントスタッフとしてゲストを出迎える。最近のテーマは「ただ暮らすために生きる」。自炊をはじめ、釣りに草刈りと、日常に流れる時間を愛おしく味わっている。
― Interview/Editing ―
小松崎 拓郎(こまつざき たくろう)
エディター。合同会社エドゥカーレ代表。茨城県龍ヶ崎市出身。渡独生活を経て、石見銀山に抱かれる町・島根県大森町で暮らしている。家族は妻と鶏二羽。