私達の記憶を彩る、いつの日か島を訪れてくれたあなたへ。
そしてこれから出会うかもしれない旅人へ。
ここはなにもないけれど、なにかある遠島。
あの小泉八雲も、こんな言葉を残している。
“ 私は隠岐で、強い力でその影響を遠くまで及ぼしている文明から逃れているという喜びを味わい、人間の生存にとって、あらゆる人工の及ぶ範囲を越えて、自己を知る喜びを知ったのである。”
その予期せぬ出逢いは「面白い」の一言では収められない、かけがえのないもの。これは、島で起こる《なにか》を記した置き手紙。
・ ・ ・
秋の匂いがする。
青々としていた道端の落葉が、黄色くしおれていく。
顔を上げたまま静かに枯れた紫陽花には、わずかに滲む淡い紫色。
道路をはさんで向かいにはサルスベリの群生。枝先の蕾を、めいいっぱい咲かせて揺れている。
カーテンの隙間から強く差し込んでいた朝の陽の光。今朝は7時を過ぎてもまだ柔らかく、部屋に薄明かりをもたらしていた。
セミたちの声は大合唱から徐々に独唱へ。
大きく長く、ふり絞るように響き渡って、名残惜しくも夏の終わりを告げている。
凛とした佇まいを支える時間
2024年7月1日をもってEntôは3周年を迎えた。
2021年、世の中が混沌としている最中での開業だった。コロナ禍の余波による休業も乗り越えながら、数えきれない人々の叱咤激励を背負い、4年目を歩みはじめた。
海外への渡航はおろか、気軽に隣県へ行くことすらできず、大切な人たちに触れられなかった日々を越えて、この数年のうちに国内外の情勢は大きく変化した。昨今の観光について、オーバーツーリズムや人材不足の話題は避けて通れない。けれども旅先を選ぶ楽しみや、旅の在り方そのものを問い直す動きなど、人々が移動することに前向きな感覚を取り戻している気がする。
そういった機運も相まって、気付けば今夏は例年よりも早く繁忙期がやってきた。
来る日も来る日も、わたしたちは隠岐を訪れる旅人たちに伴走した。
毎年この時期になると、開業に携わった人々に思いを馳せている。
建築家やデザイナーといった設計に関わる方、施工を担った方々。
隠岐の自然を切り取ってくれた写真家。
求人募集に伴走してくれた編集者。
全国各地から何度も足を運んでくださった多くの関係者。
オペレーションの構築はもとより備品の選定に至るまで、あらゆる物事を手探りで進め、運営の土台を築いた初期のスタッフたち。
なによりも、島で唯一のホテルをリニューアルする構想が動き出して7年以上に及ぶ期間、一時は計画そのものが白紙になりながらも、根気強く話し合いを重ねてくださった島民一人一人の存在。今日の凛としたEntôの佇まいには、数えきれない人々と、時にぶつかり、時に涙し手を取り合った時間が色濃くにじむ。
節目の日には、どんな気持ちを抱くものなのだろうか。
「あっという間だった」とは言い切れない濃い時間があったし、「ここまで来れた」という気持ちも確かにある。
ある人は、開業の10日ほど前に行われた施設周辺の草刈りを思い出すという。
30名もの島民からの励ましとサポートは、建物が産声をあげる仕上げとなった。
建物自体への時代変化を思う人もいるだろう。
同じ場所に初めて建てられたのは国民宿舎だった。1971年から幾度かの増改築を経て今日に至る。
またある人は、この日を境に島に暮らす子どもの未来に思い巡らせているかもしれない。
今年7月に行った開業祝いの際、Entôの敷地を大きく開け放ち、ゲストも島民も入り混じる場を設けた。段ボールで即席の草滑りに夢中になる子どもたち。何度も滑っては転んで、芝生を駆け上がり笑い合う。友達かそうでないかはもはや関係なく、陽が落ちるまで楽しむ姿を、親に留まらずその場に居合わせた大人たちが談笑しながら見守った。
兼ねてよりこんな日がくることを想像していたはずなのに、実際にその光景を目にすると静かにこみ上げるものがあった。
垣根なき循環する場所へ
2021年7月1日、はじまりの日は穏やかな晴れだった。
開業日には、新館NESTのスイートルームから朝日を撮る。そうしようと決めたわけではないのに、いつの間にか初代広報スタッフの池内さんから受け継がれてきた密やかな儀式。
あの日、小さな漁船が入り江を静かに分け入って、眼前の景色に鼓動を与えた。
「地球にぽつん。」
大きくとった額縁から眺める島の姿は、どんな天候でも、ありのままで美しい。
“住む人や訪れる人の垣根なきすべての人が交わって、島の持つ価値をそれぞれの物語とともに膨らませる。そうして膨らむ豊かさは、人々の旅の数だけ形を変えながら、けれど絶えることなく島を巡る。”
これは開業から1年後の2022年、わたしたちが定めたミッションの一部だ。
隠岐諸島がユネスコ世界ジオパークに認定された経緯。
古くから継承される伝統的な神事の数々。
かつて財政危機や人口減少に全力で取り組んできた町の変遷。
知れば知るほど、島が刻んできた歴史と物語の重みに、少し身のすくむ気持ちが沸くこともある。
ほとんどのスタッフは島外の出身者。島で暮らす多様な人々と交わり、自分の言葉で、訪れるゲストや新しく加わる仲間たちへ語り継ぐことを大切にしている。
小さな離島、島の経済に欠かすことのできないあらゆる産業と共にあるEntô。
海風によって少しずつ削られる隠岐の自然を抱いて、土地への敬意と、熱を帯びた語りが、この島では自然と連鎖していく。
・ ・ ・
― Text ―
白水 ゆみこ(しらみず ゆみこ)
福岡県出身。2017年から約4年間、熊本・黒川温泉にある老舗旅館で仲居として働き、宿を通じて旅人が土地と交わることに魅力を感じる。2021年、観光のその先を探しに飼い猫と海士町へ来島しEntôを運営する株式会社海士へ入社。尊敬する人は土井善晴氏。飲み屋のカウンターで初対面でも話し込むタイプ。島での暮らしを、食と言葉で表現するひと。
― Photographer ―
佐藤 奈菜(さとう なな)
北海道札幌市出身。アメリカで数年を過ごし、代表の青山と同郷であることなどからEntôや海士町に興味を抱き、帰国後2022年に移住。暮らしのなかで撮る、ふとした写真と言葉のセンスで周囲を魅了する。現在は主にマーケティング事業を担当。葛藤や悩み、楽しいことやチャレンジを惜しみなく全身で受け止め生きる、情緒的で正直な姿に影響される人も多い。
池内 亮太(いけうち りょうた)
京都府出身。ドイツでのワーキングホリデーを経て2021年に株式会社海士へ入社。2023年末に同社を退社し、広島へ移住。Entôの立ち上げおよび、初代広報スタッフとして様々なメディア連携やフロントマネージャーとしても奔走した。サッカー・映画・ホテルをこよなく愛するアイディアマン。現在は日本全国を渡り歩きながら旅の可能性を探求している最中。