私達の記憶を彩る、いつの日か島を訪れてくれたあなたへ。
そしてこれから出会うかもしれない旅人へ。
ここはなにもないけれど、なにかある遠島。
あの小泉八雲も、こんな言葉を残している。
“ 私は隠岐で、強い力でその影響を遠くまで及ぼしている文明から逃れているという喜びを味わい、人間の生存にとって、あらゆる人工の及ぶ範囲を越えて、自己を知る喜びを知ったのである。”
その予期せぬ出逢いは「面白い」の一言では収められない、かけがえのないもの。これは、島で起こる《なにか》を記した置き手紙。
― Text/Photo ―
岡本 華歩(おかもと かほ)
三重県出身。都心での生活を謳歌した後、直感に従い離島や田舎を転々とする1年間を過ごす。2024年早春、Entôのコンセプトに惹かれ海士町へ。面接を終えたその日から移住し、現在はフロントスタッフとしてゲストを出迎える。最近のテーマは「ただ暮らすために生きる」。自炊をはじめ、釣りに草刈りと、日常に流れる時間を愛おしく味わっている。
― Photo ―
Photographer:佐藤 奈菜(さとう なな)
北海道札幌市出身。アメリカで数年を過ごし、代表の青山と同郷であることなどからEntôや海士町に興味を抱き、帰国後2022年に移住。暮らしのなかで撮る、ふとした写真と言葉のセンスで周囲を魅了する。現在は主にマーケティング事業を担当。葛藤や悩み、楽しいことやチャレンジを惜しみなく全身で受け止め生きる、情緒的で柔軟な姿に影響される人も多い。
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隠岐に足を踏み入れて3ヶ月。 この島では厚意に預かる瞬間が幾度となく訪れる。
まだ島の文化に慣れない新参者には、何が当たり前で何が特別なのかわからない。
戸惑いながら一つ一つの出来事を受け止めている。
先日ようやく玄米を手に入れた。
Entôがある中ノ島・海士町にはスーパーマーケットがない。日々の食材は個人商店で購入しているが、当然のことながらラインナップは限られる。
都心のように「あれが食べたいな」と買いに行けないかわりに、「何が売られているかな」と手に入るもので生活するスタイルに変わっていった。
ここにあるものでの暮らしに慣れた頃、ふと気がついた。
「あれ? 玄米が売ってない」
この島には必ずあるはずだった。
火山活動で奇跡的に生まれた平野と湧水のおかげで、離島でありながら何千年も前から稲作が盛んにおこなわれているからだ。現にお米の自給率は100%以上。島前3島の人口を上回る生産量を誇っている。
たしかに海士町産「白米」は商店の棚に並んでいたけれど、「玄米」は見当たらなかった。
せっかく地産のお米があるのに島の外から取り寄せるのも違うよなと思っていたところ、お米農家さんと知り合う機会に恵まれる。
田んぼに水が張られた5月中旬、Entô Diningのメンバーから呼びかけがあった。
「田植えを手伝いに行きたい人はいませんか?」
山中ファームというEntôにお米を卸してくれている農家さんから田植えのお誘いだ。移住者にも快くお米の作り方を教えてくれる面倒見のいい山中進さん。Entôの前身となるマリンポートホテル海士時代から長い付き合いがある。
田植えは未経験だし、せっかくの機会だから参加することにした。
「まぁ、まずはお茶でもどうぞ。あがりなさい」
意気込んで自宅へ伺うと、コーヒーとお菓子でおもてなしをしてくれる山中夫婦。
呆気に取られながらも軍手と長靴を脱いでお言葉に甘えることにした。「おばあちゃんの家に来たみたいだなぁ…」と、懐かしい記憶がよぎる。
集まった地元の人たちは、慣れた手つきで苗や肥料を運んでいる。Entôのスタッフも仕事を教えてもらいながら後に続く。
主な仕事は苗運びと聞いていたのだけど、山中さんが突然「乗ってみたらえぇ」と田植え機を運転させてくれた。
慣れない手つきで少しくねりながらも均一に苗が並んでいく。ペーパードライバーを脱した数週間後に田植え機を運転することになるとは思わなかった。
きっとベテランだけで作業したほうが早く終えられるだろう。それでもあえて、田植え初心者のわたしたちに体験させてくれたのだ。
「みんなで田植えするとあっという間だわ。他の農家からは手伝いの人が多いと笑われるんだけどなぁ」
そう語る山中さんの横顔が眩しく見えた。
お昼どきに切り上げて自宅に戻ると、これまた豪華な昼食が用意されていて、たらふくご馳走になったうえにお土産を持たせてくれた。
田植えしに来たのか、ご馳走になりに来たのかわからないなと笑いながら帰路に着いたのであった。
数日後のこと。
「白米と玄米、買えますか?」と電話したら、「いいよ」と二つ返事をいただいた。
商店では買えなかったけど、農家さんからすんなり購入することができた。なんだか海士町で暮らす一員になった気がする。
お米を受け取りに行った時も山中さんの携帯に着信があり、「島前高校の卒業生だわ。大学の夏休みに遊びにくるんだと。うちに泊まるんよ」と嬉しそうに教えてくれた。
島を去っても帰って来れる場所があるからこそ、ここを「第二の故郷」と思う若者たちがいるのだろう。
この島には行き交う人を受け入れる土壌がある
島で暮らしていると当たり前になっていくのかもしれない。
農家さんから直接お米を買うことも。玄関のチャイムがなって、初対面の方に筍をいただくことも。田植えに行ったら、筍をくれたお爺さんがいたことも。
島では、人と人との距離がとても近い。
その近さが時には心地よくて、時には頭を悩ませる。
たくさんの頂きものへのお返しは塩梅が難しいし、どこで何をしていたかなんて筒抜けだ。どう付き合っていくかはインターネットで検索しても答えは出てこない。
だけど、この島には行き交う人を受け入れる土壌があるように思える。誇りを持って海士町を好きだと言う人たちがいる。移住者にも居場所を用意してくれる人がいる。
『郷に入っては郷に従え』
この言葉が驚くほどしっくりくる。後は、覚悟を決めるだけだ。
朝、ご飯を食べるたびに思い出す。
山中さんは、この島での生き方を教えてくれる人なのだ。