旅人と島人のあいだに交差するちいさな物語を綴る連載「トラベラーズNôte」。今回のお話は、台風が本土に上陸したある夏の日の物語です。
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白水 ゆみこ(しらみず ゆみこ)
福岡県出身。2017年〜2021年まで熊本・黒川温泉にある老舗旅館で仲居として働く。はじめて観光業に携わるなかで宿泊を通じた観光のその先を探しに2021年夏、飼い猫と海士町へ来島。Entôを運営する株式会社海士に入社。清掃や料飲部門などの宿泊事業に関わるマネジメントを経て、現在は社内全体のマルチサポーターとして活動中。島での暮らしを、食と言葉で表現するひと。
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Photographer:佐藤 菜々(さとう なな)
北海道札幌市出身。アメリカで数年を過ごし、代表の青山と同郷であることなどからEntôや海士町に興味を抱き、帰国後2022年に移住。島での暮らしを切り取る写真のセンスは社内でも群を抜く。現在はマーケティング事業とフロント業務を兼任。彼女にとって良きタイミングで髪色を変える習慣があり、最近は鮮やかなグリーンの短髪をなびかせている。
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8月15日、台風が本土に上陸し隠岐の島々にも強い風が吹いた。
いくつもある小型の漁船が左右に揺すられていて、まもなくやってくる荒々しい天候を予感させる。
時折吹き付ける風音に身体が反応してふと見上げると、上空には白波を模した群雲が朝陽に照らされていた。普段よりずっと早くダイナミックに流れ、肉眼にはターナーやジョンコンスタブルの風景画のように映る。
旅の第二章がひっそりとはじまった
隠岐島民の移動を支える隠岐汽船の運行状況は毎朝6時半に更新される。
案の定とでもいうべきか、この日は安全を考慮して高速船を含めたフェリーが全便欠航となり、発表と同時にフロントが少し慌ただしくなる。そのなかで前日に開催された地区の盆踊りのことを考えていた。昨年はなかった地域の催しに参加できてよかったと安堵がよぎる。
帰れないかもしれないという不安や困惑が当然ゲストの表情からは伺えた。けれど、戸惑いながらも入れ代わり立ち代わり皆が同じ空間で朝食を囲む光景に、温かさと営みを感じた。
窓の向こうでは、数時間後に欠航を決めた内航船どうぜん。早くも荒れはじめた内海を駆け足で何往復もしている。白いまるまるとした海鳥たちは何度も向かい風に吹かれて着水し、体力温存のためなのか暫く波に身体を預けてぷかぷかと浮いている。
翌日の帰路を探るゲストたち。中には潔くトラブルに見舞われながらも楽しもうとする人。なにかを考えながら窓の向こう側を見つめる人。島から出ることが困難になり多くのゲストは延泊を選択する。皆、予定通りならまもなく終えるはずだった隠岐の旅。この状況に冒険のような雰囲気さえ漂い、旅の第二章がひっそりとはじまっているように思えた。
臨時の手配や調整に追われ、働くわたしたちの1日は慌ただしくあっという間に過ぎていく。
翌朝にはフェリーが動き、物理的に外界と繋がる安心感を受け取ることになった。
フロントで見かけるゲストに声をかける。
「今日は帰れそうですね」
早朝のEntôDiningは前日とはすこし雰囲気が異なり、スタッフにもゲストにも互いを称えるような不思議な一体感がうまれていた。
旅人のまなざし
この数年は誰もが国内に留まらざるを得ず、自由に旅することは叶わなかったかもしれない。
行きたい場所へ行けること、
外に出られる歓びを、
あなたもそこで感じているだろうか。
真夏日のある日、海外から来島した家族。
はじめて海に入ったというその子は、Entôの脇にある海のことを「しょっぱい青い水」と言って、夕食の合間、料理を運ぶたびに、その時間がどれほど楽しかったかを話してくれた。今年はまだ指先にも触れていなかったわたしに羨ましいほど伝わってきた海の気持ちよさ。
生まれて初めて海に入った日のことを、わたしはもう覚えていない。
数日後には仕事終わりの同僚を捕まえて、彼の泳いだレインボービーチに脚を浸す。
幼少の記憶こそ辿れなかったけれど、仕事の合間に夏をわずかに感じるきっかけをもらった。
この島で見たもの。
食べた料理の物語。
話した人の表情やしぐさ。
触れた草木の感触。
しょっぱい青い水のことも、お互いにいつか忘れてしまうかもしれない。
儚くなにものにも代え難い。
訪れる人々から勝手に受け取り続けているものがある。それらを受け取ったものを、なにかに昇華したいといつも考えてしまうくらい、旅はおもしろいのだ。
(2023/9/7 公開、2023/11/29 再編集 白水ゆみこ)